ついこの間、ツクツクボウシを聞くことができてたけど、今日はどうだろう。もう鳴いてないかもしれないな。少しだけ、朝と晩だけは涼しくなってきました。
セミたちは、もう次の世代にバトンタッチしたんだろうか。それとも、まだ元気でいるだろうか。十月の半ばにカゴシマでセミの鳴き声を聞いたことがありましたけど、そういうのをまた聞けるチャンスあるかな。
儚(はかな)いね夏の時間と蝉の声〈一組〉
と言われても、セミたちはそうは思ってないですよ。今の時間をしっかり必死に生きていかなきゃと思ってるし、たったの一週間だけかもしれないけど、やるべきことはちゃんとやっているはずです。それをどうこう言うのは人間だけ、かもしれない。
そうだ。もっと、セミのように、なりふりかまわず生きていきたい。必死になって今を過ごさなくちゃ! それから、セミと「夏の時間」って、季語が重なってるなあ。
せみの声ぼくらに夏を呼びさます〈二組〉
これも、せみと夏、テーマが二つ入っています。夏を使わなく表現するって、どうしたらいいんだろうね。
とにかく、せみといえばナツだったんだから、仕方ないかな。でも、よく考えてみれば、「もうセミが鳴くのか。早いなあ」とか、きっかけにはなるけど、そんなにセミとみんなのナツは仲良しですか? 私はナツのあまりの厳しさが長くて、セミはほんの一瞬みたいな気がしています。
セミの声ミミミミミンと毎日と〈二組〉
何だかずるいです。真ん中をもっと別の言葉にしてもらえたら、良かったかなと思いました。そのまんまなんだもんな。でも、セミは、それ以外のものでもないかな。いや、この辺りに多いクマゼミって、やかましいから、もうその勢いだけで参ってしまうところがありましたね。
夏休みせみ鳴く声で目が覚める〈三組〉
またセミとナツが重なっています。みんなついついそうなってしまうんでしょうか。
暑さ増すセミの大声大合唱〈三組〉
ナツではないけど、「暑さ」という季語が入ってしまいました。これもルールとしてはいけないんですね。ムズカシイですね。ナツを入れないでセミを表現する。そうなると、「うるさい」とか、「大合唱」とか、「はかなさ」とかになってしまう。
セミの声をテーマにしみじみしたもの作れないかな。