うみそらひとことば

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「水の東西」ではかる私の感覚

★ 1977年の「水の東西」(山崎正和さん)と2022の私たちを比較してみよう。ということで、現在の自分とどれくらいギャップがあるのか、考えてみました。


 私たちは果たしてどれくらい山崎さんの主張通りになっているでしょうか?

 

1・この仕掛け(鹿おどし)はかえって流れてやまないものの存在を強調しているといえる。

 私は、鹿おどしなんて実物を見たこともないし、それを見ていてそんなものを感じれるのかどうか、自信はないです。なんだかのんきな仕掛けだなとは思うでしょうか。……△

 

2・日本の伝統の中に噴水というものは少ない。

 確かに、噴水なんて特に素敵だなとは思いません。上から落ちる滝は少しだけ魅力を感じますけど。……〇

 

3・伝統とは恐ろしいもので、現代の都会でも、日本の噴水はやはり西洋のものほど美しくない。そのせいか東京でも大阪でも、街の広場はどことなく間が抜けて、表情に乏 しいのである。

 確かに、街の表情なんて考えたことはないけど、東京といえば「東京駅」「東京タワー」「スカイツリー」それが街の魅力みたいに思ってますね。そういう意味では、日本の街は表情があるとは言えないですね。……〇


4・日本人にとって水は自然に流れる姿が美しいのであり、圧縮したりねじ曲げたり、粘土のように造型する対象ではなかったのであろう。

 水が流れているのに何とも言えない味わいを感じる。池は、魚がいないと生きてる感じがしない。魚がいるということは、そこに自然を感じる。……〇


5・「行雲流水」という仏教的な言葉があるが、そういう思想(行雲流水)はむしろ思想以前の感性によって裏づけられていた。

 私は、「レット・イット・ビー」「セラヴィ」とか、「そんなの仕方ないさ」「また、次があるよ」派です。流れるように生きていきたいと思っています。逆に、流れに逆らうのが好きな人だっていると思いますけど、私はマル……〇

 

6・それは外界に対する受動的な態度というよりは、積極的に、形なきものを恐れない心の表れではなかっただろうか。

 日本人の水の好みは、形泣きものを恐れない、という考えに対して、私はイマイチ理解できていません。受身的である、受動的であるというのには納得するけれど。

 ……?

 

 〇を3点、△は1点、?と✖は0点にしてみると、私は、13点でした。18点という子もいましたけど、さて、どうなんだろう。

 

 点数は関係ないですね。自分の考え方を見直すという意味で大切なのかもしれない。