うみそらひとことば

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しりとりから 1975

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★   しりとりから                                 一風子

 

 もう、みんな寝たろうか、この寝台列車の人々は……。

 

 みなそれぞれ、行く先がちがう。おいらは、鹿児島の田舎のおばちゃんのとこへ弟と二人で行く。その弟はさっきまで元気にはしゃいでいたのに、今はもう、列車のゆれにまかせて寝入っている。二十分くらい前まで、ヒマだったからしりとりでもしていたら、上にいた倉敷から乗ってきたオッチャンに怒られ、静まったのだが……。

 

 行く先はちがう。倉敷からのオッチャンも、大阪駅で少し話をした家族の行く先も。だが、知らない同士いろいろが、夜の闇を突っ走る列車の雰囲気に酔っているのはまちがいないらしい。みなそれぞれが、とりどりに酔いしれている。倉敷のオッチャンは睡眠をむさぼり、さっきの家族のおとうさんは洗面所で揺られながら酒を飲んでいた。そして兄弟は一つの寝台に寝そべってしりとりにふけり、旅人らしき若者が雑誌を斜めにして見ている。やけに照明がまぶしく感じるのは、春だからなんだろうか。

 

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 列車からの景色は白さが抜けて、赤みを増したなと思ったら、もう藍色に塗り替えられていた。点々と生活の明かりがついて、たそがれとなって、その車窓から歩いている人の姿が一瞬目に入る。列車に乗っているこの僕が、ただ瞬間、道行く人をサッと見ただけなのだが、とてもうれしいのだ。そんな刹那の幸せが、旅情を春にしていくような気がした。異郷の人を見たときの不思議な驚きに、おいらはしがみついていたかった。

 

 駅が近くなると、少しスピードをゆるめたような感じになって、スルスルと人々の生活のプラットホームをくぐって行く。どんなちっちゃな駅にも、とてつもなくでっかい駅にも、人がいて、生活を続けている。普段の通学のときは、ギュウギュウづめの、すしづめなんだけど、もうその時から「青春の旅」はその人を満たし始めていたのだ。通勤のとき、人生の旅は始まっているのに、都会の人たちは不感症になりがちだ。

 

 駅を抜けるのに三十秒とかからないが、おいらはこの時間がとても大切に感じられた。時間はもう帰ってこない。私たちのそばを通り過ぎていく無常観は、あちらこちらにたくさん落ちていて、旅をしているおいらはひとつずつ拾いあげ、それらを解きほぐしてみたかった。旅をするのは、他人の生活を訪ね、そうして自分の旅(=生活)を一層高め、愛し続けるためなのだ。[1975.10.27 午前0時40分   伴侶へ]

 

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★ 第2号の冒頭が「一風子」くんの紀行エッセイでした。面目躍如できたろうか。いやあ、彼としてもいいとこ見せたいと張り切って書いたと思います。文を書きつつもトーンが高い気がする。声張り上げて書いている感じ。

 

 彼の得意とする旅がテーマだったんですね。