大江健三郎さんが言っています。
子どものころ、それもいろんな時期にそうねがったとして、あのような人になりたい、と心にきざんだモデルが、誰にも、幾人かはあるはずです。
そして私は自分の中の生きてきた日々を検討してみて、まず、あの人のようになりたいとねがった誰についても、完全にその人のままにはなれなかった、と思います。
しかしそれに続けて、あの人のようになりたいと思った、その人のように、少しずつなってはいるようだ、とも考えるのです。
★ 誰でも、「あんな人になりたい」といったあこがれの存在があるはずだ、と言うのです。そんな人、思い当たりますか?
もし、そういう人がいたとしても、大人になってみたら、子どもの頃にあこがれていた人みたいにはなれないものだ、と言うのです。まあ、小さい頃にあこがれた人と同じようなことをしている人って、あまりいないのは確かです。
その時代、年齢ごとに自分のやれることを考え、反省しながら自分の道を検討していくのが普通ですから、目標や目ざすところは変わっていきます。
そして、最後の文、「その人のように、(なりたかった人に)少しずつなってはいるようだ」って、どういうことなんでしょう?
あこがれた人みたいにはなれなかった。でも、その人のようにはなっている? それは、どんなとこが? 何が? なぜ?
わからないですね。みなさんも、もしよかったら、考えてみてください。
なぜ人は、小さいときにあこがれた存在のようになってしまうのか?
どうぞ、よろしくお願いします。